松尾シゲオキと「もの作り」 第一章
もうすぐ20代最後の夏が終わろうとしています。
20代最後の夏があああ・・・・。
最近、「もの作り」について考える機会が多いんですが、自分は「曲」を作ったり、「ホームページ」を作ったり、ホームページで展開する「企画」を作ったり、さらには「絵」を書いたりと、おかげさまで、様々な「もの作り」をさせていただき、生計を立てることができているんですが、なぜ自分はこんなに「何かを作ること」が好きなんだろう、と考えることが多くなりました。
今回から数回に分けて、僕の「もの作り」の歴史を少し振り返りたいと思います。
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僕は小さい頃から絵を描くのが好きで、幼稚園時代から小学校時代まで、ずっと絵ばかり書いてました。
(ピアノを始めたのは7歳から。その頃は自分が音楽の仕事をするとは夢にも思っていませんでした)
幼稚園時代は、大阪の千里というところに団地住まいだったんですが、部屋の中にある襖に、いつもペンで絵を描いていたので、団地の襖は、僕の絵だらけで、えらいことになっていました・・・(^^;)
で、僕があまりに絵が好きなので、母が僕を絵に習いに連れて行ってくれて、幼稚園が終わると、お絵かき教室みたいなところで絵を描きに行ってました。
(確か幼稚園に併設されていたお絵かき教室??)
ただ、「絵を描く」ことだけが好きかというと、そうではなく、何か「もの」を作ること自体が好きで、ダイヤブロック(レゴブロックの親戚)でロボットを作ったりもしてましたし、「秘密基地」なんかも作ってました。
「秘密基地」の製作で、ホロリとする出来事があったのを今も覚えているので、ちょっとご紹介してみます。
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幼稚園時代、通学路の途中に「広場」っぽいところがありました。
その広場には、なぜか流木?(椰子の木なんかもありました)が落ちていて、それを使って、「秘密基地」という名の、「家」らしきものを作っていました。
その頃の親友に「しんちゃん」という子がいたのですが、その子と二人で作り始めた秘密基地でした。
秘密基地と言えば、人には見つかりにくい場所に作るのが普通ですが、思いっきり幼稚園の通学路の途中に作っていました。
それは「秘密」の基地ではないような・・・。
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しんちゃんと一緒に作っていた秘密基地は、なかなか良い感じで、秘密基地っぽい形ができていきました。
そんなある日、しんちゃんが熱を出して幼稚園を休んだ日がありました。
しんちゃんがいなかった日も、僕は一人で秘密基地の続きを作っていました。
木をいっぱい運んだりしてたので、指には「ソゲ」が刺さり、子供ながらに「痛いなあ」と思いながら、せっせと秘密基地の製作に勢を出していました。
幼稚園児なので、運んだ木は小さい木ばかりでしたが、数日かけて、ようやく土台的な物が完成し、「やった!」と感動したのを覚えています。
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ようやく秘密基地の土台が完成した次の日、大雨が降りました。
大雨洪水警報が出て、幼稚園も休講になりました。
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翌日、僕は熱が出て寝込んでいました。
秘密基地の製作で疲れていたのかもしれません。
夕方くらいに熱が下がったので、「秘密基地」がどうなっているかが心配だったので、真っ先に秘密基地の元へ向かいました。
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現地へ着いた僕が見た光景は、予想しないものでした。
せっかく作った秘密基地は、他の子供達の遊び場になっていました。
僕が指に「ソゲ」が刺さりながら、一生懸命に組んだ足場の部分は、「平均台」のように、他の子供達が上に乗って、バランスをとって遊ぶ「遊具」に変わっていました。
その光景を見た僕は、子供ながらに、すごく切なくなりました。
ただ、同時に、ちょっとうれしくもなりました。
自分の作ったものが、多くの子供たちにとっての遊び道具になっている、
所謂、「人のために何かをする喜び」を、子供ながらに感じたんだと思います。
勿論、自分が一生懸命作った秘密基地が、他の人に奪われたのはとても悲しかったですが、不思議と涙が出ることはありませんでした。
今でも覚えているのは、秘密基地で遊んでいた子供達が
「これおもろいなあー」
「誰が作ったんやろ」
「宇宙人かー?」
と言っていたことです。
「それは僕が作ったんやでー」
とは言えませんでしたが、今でも鮮明に覚えている記憶です。
なつかしいなあ。
・・・という感じで、第二章へ続きます(^^)

